2018年8月 2日 (木)

錨、錨鎖  把駐力 数理 呆け防止に

2018年08月02日

 下の写真は、少し前だがとあるコラムに投稿されたものです。ご存知の方も多いことでしょう。


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 懐かしく思い出すのは、「この」錨ではなく、「錨」にあります。呆け防止に、少し頭の訓練をと考えた次第です。 失礼な話しだと考える方がおられるかも知れませんが、「AKB48」の名前を呆け防止になると「自慢気」に口にされる年長者がおられますが、同じ呆け防止に「中国語の単語を一日に10個覚える」ようにしている方のほうが、私には好ましい。

 では、私は、どの様な事に、どの様な事を考えているのか。 皆様も学生時代、それも高校時代を思い出しながら読み、考えて下さると有難いです。もう捨ててしまったという方でも、お子さんやお孫さんの本を借りて「思い出す」のも一考です。 それではどうぞ!

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 如何ですか? 時には、この様な事を考えて生活するのも悪くはないかと思いますが???

2018年7月30日 (月)

水平線までどの位あるの?

2018年07月30日

 ブログを暫く休んでいたのは、色々考える事が在ったからです。 戦艦「大和」について少し調べていると、大和の主砲は、40km超の射程距離を持っておりますが、その様な先まで「見えない」だろう? 等の議論に出くわした次第で、昔を懐かしんで考えてみました。

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と考えたのです。  しかし、人間が肉眼でみる「光学的視水平線」は簡単に延べたように 2.07√H(眼高) としますと、戦艦大和の観測所が、30mとすると、人間の眼の高さ(眼高)を加えると 2.07√31.5 となり 水平線までの距離=2.07√31.5=11.62✕1.852≒21.5km となります。ここで、相手の船を考えると、大和より小型として、眼高までの高さを20mとしても、マストの高さが、数メートルあるとすれば、2.07(√31.5+√25)=2.07✕10.61✕1.852≒40.7km となり、40kmの先まで見える計算になります。最も、観測者の視力、その時の気象条件に左右されはしますが・・・。

 東北・太平洋岸に「金華山」がありますが、この山の高さは445m程あり、眼高までの高さ10m の船でも 2.07(√445 + √10)=2.07✕24.25✕1.852≒93km 先から見える計算になります。実際に、私もこの距離程度から視認致しました。 外洋から日本に向けて航海する船は、時折この金華山に向けて自船の位置を確認(ランドフォールlandfall)して沿岸航海に入ります。

小学校教科書「協力する社会」  「捕鯨砲」に触れて

2018年7月30日

 此の記事は、2018年05月30日に下書準備をしたままで、しばらくストップしていました。当然ブログも同様です。

 下の写真は、下関に在るものですが、私は、60年近くも前に、捕鯨銛の話を、小学校時代の教科書「協力する社会」で知りました。此の形状の銛を「球形銛」「球状銛」(実際は平頭型)とよび、殺傷能力が格段に上がることが確かめられています。 当時の東大の先生が考案したようです。 茶筒の形状(ガラナツ、グラナツと呼ばれる)の中には、炸薬(導爆線、線爆)が仕込まれており、銛が命中した際、鯨体内で爆発し、その衝撃と破裂した際にガラナツが飛び散り、殺傷能力が高められるという訳です。
 球形銛は飛んでいく際の「抵抗」が心配されましたが、銛の飛翔速度からみても左程の影響が無いことも知られています。 これが、他国の捕鯨銛より性能が良く捕獲効率を高めたようです。

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 銃砲には「弾道計算」式があり、とある方の話ではこれには、戦艦「大和」の主砲の「弾道計算式」が使われている様ですが、私は見たことがありません。

 戦艦「大和」の主砲弾頭は、以前触れた「火の山」山頂に展示されています。

グラナツについて:
  言葉は聞く側が間違って聞くことがあります。 トロール漁船の世界では、「バスケットbasket」のことを「バイスケ」と呼び慣わしている。これと同様に捕鯨の「グラナツ」は「グランド・ナットgrand nut」(大きいネジ)と言う言葉が、訛り「グラナツ」或いは「ガラナツ」となったと考えられる。
 実際に、炸薬を仕込む際にはネジを緩め、作業終了後、再びネジを締める。所謂ボルト・ナットのナットと同様である。

2018年5月28日 (月)

公的年金 一つの理解の仕方(数理として)

2018年05月28日

 15時半過ぎのバスで、近くの『食事処』に早い夕食を摂りに出掛けた。
 何しろ、27日00時から、一睡もせず、朝は、「生垣」の高枝の切り落としをし、パソコンについての作業で、15時過ぎまで続けていたのでした。

 飲食し、今日も30分の道程を歩いて、途中買い物をした後に帰宅しました。時計は18時半頃。少し片付け物、メールなどの確認後、19時就寝。 21時半起床。その後、インターネットをやり、一つの映画、アインシュタインの言葉(英語版)を巡っての話などに盛り上がって時間を忘れていました。もう24時を回ってしまった。この様な事は、日記に書くべきことかも。


 今日は、表題にもあるように、「年金」について、少しく考えたことを公開します。

 子供の頃、両親の話などから、「年金をもらえるようになって、7,8年したら、死ぬ人が多かった」と言う話と、私が通う「食事処」で聞いた話とを合わせたものだ。

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 この、60歳から65歳までに、先取りあるいは前取りした部分についてどの様に理解するか。この事を考えるよすがとなるのが、「住宅ローン」の形だ。前借りした金を、25年ないし35年と長期間掛けて、返済する。この事を考えると理解しやすい。

 例えば、5年間に、240万円×5=1200万円を先取りしたとすると、これを65歳から、25年掛けて返済する、この返済分が、65歳から受け取ることになる年金から、天引きされるのだ、と言う理解の仕方を考える。

 この様に考えると、1200万円÷25÷12=4万円(月に4万円天引き)が、月々減額される。年金受給は、2ヶ月毎であるから、8万円がその都度、天引きされる(減額される)という計算になる。
 逆に見れば、正規に65歳から受け取るとすれば、現在受け取っている額(60歳で年金を受け取った人)に、この8万円がプラスされた額を受け取ることになったであろうと、推測される。

 ちなみに、私を例に出すと、職業柄、私たちは、「満57歳」から年金を受給できる。そして、65歳になり、改めて手続きをするが、「受給額」の変更はなかった。

 この57歳から65歳までの8年間に 240万円×8=1920万円 を前撮りしたと考えると、この金額を 25年掛けて返済、従って、65歳以降、その分が減額されると理解するのである。
 そうすると、1920万円÷25÷12=6万4千円 月々減額となり、年金受給月毎に、12万8千円が減額されると考える。

 この様に見ると、自分の年金額が、65歳から受給したとすれば、どの位の額になるかが理解でき、頷けるものがある。職種は異なるが、私の近縁の者が、「受給する金額」にほぼ等しくなることから、この理解の仕方は、当たらずとも遠からずであると、私は理解している。

 皆さんは、どの様に理解されるであろうか。

2018年5月27日 (日)

やっと 此処まで漕ぎ着けました!

2018年05月27日

 今日は、未だ眠っておりません。

 07時半から、今日はなんとしてでもと、07時半から作業に取りかかりました。
成果は、以下の如しです。 カメラマンとしての腕は、三流以下、カメラも同様。何度か取り直し。 このようなものでしょう。新旧の比較を「以心伝心」も手伝って送ります。

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2018年5月26日 (土)

火の山 ロープウェイ

2018年05月26日

 今日は、ガーデニングの予定だったが、夜更かしがたたったのか、03時過ぎに休み、10時起床だったが、全身の倦怠感で、再び休み、次に目覚めたのは、14時だった。流石の寝坊屋の私も、これではと起床した。

 少しパソコン作業を行い、例の通りの「早めの夕食」を摂りに出掛けた。

 2時間ほど飲食し、約30分の道程を歩き、途中スーパーで買い物をして、18時半頃帰宅。

 インターネットを少しやり、19時半には休み、21時半に起床した次第だ。

 今日のテーマは、「火の山 ロープウェイ」だ!

 私が、初めて火の山に登ったのは、もう50年も前、故郷の友人に誘われてのこと。二度目は、「学生同士の交流会」であった。 少なくとも、最後に登ってからは、もう45年が、過ぎている。その山に、登ってみようかと殊勝にも考えたのは、次の記事を読んだからだ。

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 ここでは、「ゴンドラ」の話はでてきますが「ロープ・ウェイ」の「ワイヤー・ロープ」の話は出て来ない。かつて、「エレベーターのワイヤー」の切断、破損の記事が新紙面に載ったのは、もう11年も前になるが、覚えている方はおられるだろうか。

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 通常、この様な「ロープ・ウェイ」に使用されるワイヤー・ロープと「エレベーター」のワイヤー・ロープとは「仕様」が異なるであろう。

 私たちが、日常生活の中、路上工事などでみる「ワイヤー・ロープ」について少しく考えてみることにしました。

 1.大径の直径を「D」㎜、小径の直径を「d」㎜とし、
 2.大径の断面積を「S」、小径の断面積を「s」とする。
 3.今、この大径のワイヤー・ロープを小径のワイヤー・ロープ「n」本で代替するとすれば、
 4.D、d、n の間に、どの様な関係があるか、を考えてみることにする。

 各断面積の間には 「S=n・s」 の関係があり、次のような関係式を導くことが出来ます。

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 この「火の山」には、まだ「記事」になるような、事があるのですが、また後日と言うことにさせて頂きます。

雨と日射 少し休みましたが再開

2018年05月25日

 昨日は、パソコン作業(データ入力ほか)。インターネットなどで過ごし、その後、読書を為て、とうとう日が変わってしまいました。 03時15分就寝。

 07時半起床。「ビン・缶」の資源ゴミを出し、08時から、少し休んだ、「高枝」の切り落としを行いました。未だ朝のうちは、涼しく作業には、絶好のチャンスです。

 西側の作業ですが、「電動チェーン・ソー」の、「潤滑オイル」が、殆ど切れてしまい、「太い枝」を切り落とし、その後は、「手ひき鋸」で切り落としました。大方の作業が終わったら、10時、もう陽射しが強くなっており、このあたりで、作業をやめ、片付けに入りました。

 作業中、畑仕事をしていた、近隣の「奥方」が声を掛けてこられ、少しばかり会話しながらの作業でしたが、途中で、「新タマネギ」を掘り起こし、「食べて下さい」と言って、7つほど下さった。自炊もする生活、有難く頂戴した。野菜炒め、チャンポンにでも入れて使うことにしよう。

 シャワーを浴び、汗や木くずで汚れた下着を、つけ置きしていた他の衣類と合わせ洗濯をし、少しパソコンに向かうと、もう12時近く。

 「潤滑オイル」を購入する必要があるので、「ホーム・センター」へ出掛ける必要があり、12時25分のバスで出掛ける。 消費量が、意外と多いので、1リットル入りを購入。ついでに、行方不明となった、文具「雲形定規」も新しく買うために、店員さんの親切に甘える。上手い具合に見つかった。
 以前、「ショッピング・モール」内の文具店を探したが見つからず、少々諦めていたのだが、ここで上手い具合に入手できた。

 まだ、帰りのバスまでには時間があり、付近のスーパー「You Meタウン」の生鮮食品売り場などを見学し、適当なものも探したが、帰宅まで、3時間もあると、躊躇う。 とうとう見学だけで終わった。 14時半のバスが少々遅れ、早い夕食を摂りながら楽しむ「一杯」の「食事処」に向かうのが遅れたが、せいぜい10分だ。 女将さんの、娘さんが居たが、直ぐにでた。何処かのスポーツ・センターに行くようだ。

 私の帰宅は17時。 明日の、仕事の段取りを再確認。

 もう時計の針は、周り、26日だ! 写真は、片付いたところで撮ることにしよう。

2018年5月23日 (水)

原子爆弾を巡って  その二

2018年05月23日

 1945年8月6日
     広島上空で、「リトルボーイ」(ウラン235型爆弾)が投下される。

 1945年8月9日
     長崎上空で、「ファットマン」(プルトニウム239型爆弾)が投下される。

 1945年9月17日
     超大型台風が、枕崎付近に上陸、広島の西側を通り日本海に抜け、東北を横断し三陸沖に抜けた。広島県を中心とした被害が大きく、全国の死者・行方不明者、約3千8百人。
     これが世に言う「枕崎台風」である。

 これから見ると、長崎同様、広島も、豪雨による「放射能」の洗い流しが起こったに違いなかろう。ただ、長崎の人々の伝える種々の状況が、広島の人々とは違っていただろう事も想像に難くない。

 私が、ここに記載するものは、私にとっての、「広島」である。丁度、私が出会った「彼」を通じて、長崎に出会ったように、私の出会った広島を伝えるのである。

 ここに、一冊の書籍が有る。「私にとって聖書とは」(教文館)である。

 扱うのは、この中に納められた、「より人道的な未来への道標」(ローベルト・ユンク)と題された一文である。

 ここには、僅か14歳の中学生として、広島の大災害を体験したM・一夫のことが触れられている。後年彼は、19歳という年齢で、毒入りのカルピスを金貸しに飲ませて殺し、無期懲役の判決を受ける。
 この間の事情については、「灰墟の光・甦えるヒロシマ」(ローベルト・ユンク)に詳しい。私は、この本を、母の臨終の地となったとある図書館で、借りて読む機会を得た。絶版となっているが、図書館を探せば、読むことも可能だろう。是非その様にされることを望む。

 私の拙い説明よりも、その方がより良いと考えるからだ。この「M・一夫」「永山則夫」そして光市・母子殺人事件の犯人「大月孝行」も、皆未成年であった。

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2018年5月22日 (火)

つかりたび~~~~~

2018年05月21日

 18日に、月一の「ミニ同窓会」に出席し、二次会で少々はしゃぎまくり、飲んだ酒が災いしたようだ。 
 
 私をこの「月一会」に誘ったのはとある同級生だ。ここでは仮に「T」と言うことにしておこう。「T]が、「俺は、来月から、月一一人旅に出る。その手始めに、出雲に行くから、参加する奴はいないか」と言うのだ。

 私は、二つ返事で「参加」を表明した。同席の残りの二人は、あまり色よい返事をしない。また言う、「ママも参加しない?」 私も言う「そうだよ、ママも参加しなさい!」

 この様なやり取りの後、「ママ、参加しなさいよ! Tは、出雲の縁結びの神様の前で、ママにプロポーズをしたいんだよ! 分かってやってよ!」と言うと、皆の顔色が変わる。

 「T」は、この方、一度も結婚したことがないのだ。「中森明菜」の大ファンで、東京まで追いかけていったと言う。「俺は、女に妥協しない!」という彼には、「中森明菜」は、特別だったようだ。彼の使う画面は、合成写真だが、「中森明菜を横にし、後ろからそっと手を回したような写真が使われている」

 私も負けずに言う、「俺は、女に妥協したから結婚した。しかし、仕事には妥協しなかったから出世しなかった」と。

 過去にも何度かこの様なやり取りがあったが、いつもお話しは、チョンだった。

 うち一人が、ダウン。その同級生を、「T」がエスコートして一時、席を外す。もう一人とも大した話はしなかったが、「ママ、出雲に行きましょう! 出雲大社に行こう!」などと、ママをセガって居ると、「T」が戻ってきた。

 後は、どの様な話をしたのだろう。ソロソロ出よう、と言うことになり、出るが、勘定は、先程の同級生が出る時に精算したので、其れで良いと言う。

 私は、ホテルだが、あと二人は地元、皆方向は同じ。ホテルの前で別れる時、「おい、俺は参加するからね」と、念押しするように伝える。

 部屋に戻ると、もう19日00時半だ。 直ぐに寝付けず、01時就寝。そして、目覚めたのは06時半、朝食を摂る為、最低でも「コーヒー」は飲みたい。お代は、「ホテル代込み」だが、私のポイント・カードは、満杯。本日のホテル代は、「無料」だ。もう、20回以上も泊まったことになる。彼の紹介で出席するようになって、もう二年が過ぎることになった。

 部屋に戻ったが、ゴロゴロ寝返りを打つだけで寝付けず、09時半チェック・アウトのために、着替え、部屋を出た。

 ゆっくりホテルを出たが、駅に着くと、電車の時刻は迫っている。慌てて駆け込む。とうとう、電車の中では、車中で読む予定の樋口毅宏の「テロルのすべて」を開くことが出来なかった。最後まで、「舟を漕ぐ」有様だったからだ。

 駅に降り立ったのは、11時半過ぎだ。いつもの「食事処」(開店は12時)で、時間が早くて申し訳ありません、と謝り、「チャンポン」を作ってもらい食して、バスに乗り、帰宅したのは、12時半頃。もう爆睡だ? しかし寝付けず、ゴロゴロ。

 それでも、16時45分には、同じ「食事処」で早い夕食の席に着いていた。帰宅したのは、18時半頃。そのまま眠れば良かったが、インターネットの為、パソコンを開いたのが、仇になった。休んだのは、24時頃だ。

 20日は、従兄の「七回忌の法要」で、また生まれ故郷に帰らねばならない。ここでも、「呑兵衛」と付き合うも、片付けを急ぐ女性陣に「眉をひそめられ」腰を上げる。

 8時には、家を出、11時過ぎには「読経」開始、12時半には終了し、食事。もう14時近くだ。駅に着いたのは、14時過ぎ、直ぐの便に乗り、同じように、車中では、本も読めず、帰宅の有様、16時には帰り着いたが、今度は「爆睡」だ。


 幼き日、少しは私の面倒を見てくれた「従兄」だ。記念に、幼き日の、わが「肖像」を。


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2018年5月21日 (月)

君知るや、防人の館を! 200海里最前線 (改訂版)

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 多くの人に知られることもなく、大海原に在って「防人の館」として務めています。宜しく。

 かつて「鳥も通わぬ八丈島」などと言われたことのある「八丈島」には、いまでは「ジュラルミンの鳥」が通うようになり、観光客も訪れるようになりました。

 ここ「沖ノ鳥島」は、世界の様々な国から「あれは島ではない、ただの岩だ!」と言われながらも、広大な海洋を保持するために、この「沖ノ鳥島」を、波浪などによる浸食から守るために、国は、長年月と巨費をかけて「護岸工事」を実施しました。

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 また、かの石原慎太郎氏も、この島を訪れ「大地に口吻」をしました。ご覧下さい!


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