原子爆弾を巡って その二
2018年05月23日
1945年8月6日
広島上空で、「リトルボーイ」(ウラン235型爆弾)が投下される。
1945年8月9日
長崎上空で、「ファットマン」(プルトニウム239型爆弾)が投下される。
1945年9月17日
超大型台風が、枕崎付近に上陸、広島の西側を通り日本海に抜け、東北を横断し三陸沖に抜けた。広島県を中心とした被害が大きく、全国の死者・行方不明者、約3千8百人。
これが世に言う「枕崎台風」である。
これから見ると、長崎同様、広島も、豪雨による「放射能」の洗い流しが起こったに違いなかろう。ただ、長崎の人々の伝える種々の状況が、広島の人々とは違っていただろう事も想像に難くない。
私が、ここに記載するものは、私にとっての、「広島」である。丁度、私が出会った「彼」を通じて、長崎に出会ったように、私の出会った広島を伝えるのである。
ここに、一冊の書籍が有る。「私にとって聖書とは」(教文館)である。
扱うのは、この中に納められた、「より人道的な未来への道標」(ローベルト・ユンク)と題された一文である。
ここには、僅か14歳の中学生として、広島の大災害を体験したM・一夫のことが触れられている。後年彼は、19歳という年齢で、毒入りのカルピスを金貸しに飲ませて殺し、無期懲役の判決を受ける。
この間の事情については、「灰墟の光・甦えるヒロシマ」(ローベルト・ユンク)に詳しい。私は、この本を、母の臨終の地となったとある図書館で、借りて読む機会を得た。絶版となっているが、図書館を探せば、読むことも可能だろう。是非その様にされることを望む。
私の拙い説明よりも、その方がより良いと考えるからだ。この「M・一夫」「永山則夫」そして光市・母子殺人事件の犯人「大月孝行」も、皆未成年であった。
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