2017年12月 7日 (木)

わたしの生命は宇宙と同様に深い  届かなかった友へのメール

返信ありがとう。

今はもう、Webメールに拘ってはいません。EDIONのネットワークのWebメールが駄目であれば、マイクロソフトのoutlookで済ませます。Y君にテストで受信して貰いました。OKと言うことなので、今後はこちらで、確認、出席の可否はこれで連絡します。

もっとも、このoutlookも四苦八苦してやっとこぎつけたのです。少し不明のことがありますが、あまり追求して、何処かおかしくなると、こちらも二の舞になりますので、おとなしくしています(笑い)。しかし操作性などをみますが、一長一短です。

私のようなビギナーには、指南役がいないということは、難しい世界なのかもしれません。敷居は高くありません、誤解の無いように、ここは強調しておきますよ。世間様は、言葉遣いを誤って、「敷居が高いのか」と、馬鹿な誤解するかもしれませんが。

M君が、かつてミニ同窓会の折、言っていました。「もうfacebookは止めようかと思う。連中、年寄りは自慢話ばかりだ。面白くもなんともないなんて言っていた。」

このことが、頭の中に残っており、「f」をクリックしたのですが、様々な記入項目があり、たどたどしく記入していたら、記入後、入力ミスがあり、誤記の訂正をしようとあちこちをいじくっていた事が災いしたのだろう。

こいつは不審者だ、と判断されたのでしょう。強制的にログアウトされた。

このような精神を考えると、かつてアメリカで、若い日本人が、訪ね先の場所を聞こうと、とある家の庭に入り、誤解され射殺されたことを思い出しました。

「フリーズFreeze」などと題される本がありましたが、裁判の後、結局どのような結末となったのでしょう。ニュース報道で、かの俳優、チャールトン・ヘストンが、「われわれは、われわれの責任において、所持し、管理している。」などの発言をしていました。米国の銃砲関係組織の「サブ」をやっていたはずです。

わたしなどもそうですが、道行く人に、何かを尋ねることはあります。しかし、最近の学校では、「知らない人について行かないように」などと教えるようですから、訪尋ねたいことがあっても、逃げて行かれます(笑い)。

若き日、船員として、コロンブスに縁のある地で、飲み会があったのですが、少しく遅れ急いでいたところに、渡りに船のごとく、これまた若い男がいたので、下手くそなスペイン語で、店の名前をいい、「ドンデ・バー」と尋ねました。すると日本語で、「わかる わかる」(これにはビックリしました)と答え、指で「カモン」の合図をするので、ついて行ったのですが、だんだん暗いところに入っていくので「ヤバイ!」と、一目散に逃げたことがありました。後ろでは「本当だょ 本当だょ」とこれまた日本語。

仕方なく、一人でいつもの店で飲み、船に戻り、眠ったのでした。しかし朝、船内食堂に食事に行くと、「その男」がおり、他の船員達と楽しそうに話しているではありませんか。

私を認めたこの男、「本当だょ 本当だょ」をまた連発したのでした(笑い)。しかし、だからといって、あの夜が安全であったという事にはならないだろう。この男、日本人船員との付き合いがそこそこ合ったのでした。

話は変わりますが、人は、「コンピュータの自動処理だ」と言うようですが、少しく考えてみるのも良いと思います。「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)と呼ばれますが、手塚治虫の作品「鉄腕アトム」では、「知能回路」という言葉が出てきました。手塚治虫は、コンピュータ世界の動静を知っていたのでしょうか・・・。

「コンピュータが、棋士に勝った」「あんな野郎が対戦したから負けたのだ」「イヤー、スゴイ、あの棋士は天才だ」などとメディアは伝えますが、一体何を伝えているのでしょう。

これまた、外国、ニュー・ジーランドNEW ZEALANDでの話ですが、とある店のワゴン・セールで入手した一冊の本の話です。

これは「ニュー・ジーランドの風景Landscape」とでも訳せば良いのでしょうか、この本の中に、私が少しは知る作家「キャサリン・マンスフィールド」の「Journal(日記、日誌)」からの一文があります。簡約すれば、「ニュー・ジーランドが、もっと人工的Artificialになったならば、この国の自然美を適切に取り扱う事の出来る芸術家が生まれる。これはパラドキシカルparadoxicalに聞こえるかも知れないが、真実だ」と、語っています。

When New Zealand is more artificial, she will give birth to an artist who can treat her natural beauties adequately. This sounds paradoxical, but is true.
また、
A young country is a real heritage, though it takes one time to recognize it. But New Zealand is in my very bones.
とも、語っています。

今では、彼女の作品は、この日誌・日記を含めて、ほぼ全作品が翻訳されている事でしょう。英語を能くしないわたしでも、作品のいくつかを家にあって、少しは手に取り読む事があります(笑い)。

岩波文庫、筑摩文庫には、彼女の作品のいくつかは収録されていますが、このJournalは収録されていないと思います。かつて、新潮文庫に収められていたようです(抄訳)が、今は絶版ではないでしょうが、品切れになって長くなります。 意外に、このような作品は多いのかも知れません。

日本の作家、ひいては私たちは、「この非人間的社会」とも言われたりする日本・社会をどのように取り扱い得ているのだろう。実に興味のある事です。ここは、まだ「人工的Artificial」ではないのでしょうか(笑い)。

海外に出かけ、良かったと思うのは、日本にいても触れる事は出来たであろうが、このような精神に触れる時です。

北は北極海近くまで、南は南氷洋まで、一年12ヶ月のうち、わずか3ヶ月ほどしか陸で過ごす事が出来ず、離家庭的であった私の「家庭生活」は、終に惨憺たるものとなりました。しかし、慰めとなるのは、わずかにしか一緒に過ごす事が出来なかった、今は亡き妻との思い出ではなく、このような精神に触れる事が出来た事です。 時至れば、また他の事どもを語る事があるかも知れません。

  ♪ 残り少ない 日数を胸に~ ♪  今は、不羈の精神で生きていきたいと思っています。

寒さの折、貴殿も御身ご自愛ください。 またメールします。

2017年12月 5日 (火)

70の手習い

「60の手習いだ」もう何をやってもだめだ。などという言いもありますが、同じ言葉を使って、「60の手習い大いによろしい」とも言われます。

この私は70の手習いです。

    E・メールと掛けてなんと解く。 モーゼ(モーセとも)が神と会った場所と解く。
    そのこころは。 シナイ山(しないざん)す。

などと言っていたのですが、始めることになりました。しかしなんとも大変な世界です。あちこちをいじくりすぎたのか、「」と言う文字のところをクリックし、ログインをしたのですが、ウロチョロする私を、不審者と間違えたのか、強制的にログアウトされてしまいました。記入しなければならない項目があり、記入したのですが、誤記があり、訂正するにはどうすれば良いのだろうと、あちこち探し回ったのですが、それすらもビギナーには恐ろしいことです。EDION・NETの皆さんにお尋ねいたしますが、メールが届かなくなりましたが、これもこうした私の所業が、災いするのでしょうか。
   
     mailer-daemon@.enjoy.ad.jp

などからお叱りがありました。

近くに大学があり、公開講座なども開かれ、また20歳前後の学生さんに混じって秋期講座にも参加しています。頭の錆取り、さび落としです。心理学、哲学、経済学、憲法学、歴史学などなど。
昨日もそうですが、基本2本足の私は、歩き、バスに乗り、汽車に乗り、また歩きで、片道2時間弱の時間を掛けて一時間半の講義を聴きに行くのです。当然帰りは、この逆になります。一月半ばまでこの生活が続くのですが、雨雪の多いときには、バス、汽車とも送れ、時間に間に合わぬこともあるので、さらに早めに家を出ねばなりません。それでも、頭の錆取りに余念がありません。

「チュヌの便り」でしたか、あの方のブログは大変興味をそそられました。大いに読ませていただこうと思います。
昨日は、「歴史に見る通貨の多様性」という講義でした。
私は船員として、あちらこちらを見る機会を得、外国の貨幣もいくらか残っているので、取り出して手にしながらその昔を思い出しました。
かつて世界に轟いたワレサ議長「連帯」などで知られる「ポーランド」にも行き、そこで出会った紙幣には、小中学校の音楽の時間に見たことのあるショパンの姿があり、横には楽譜(スコア)の一部が描かれていました。どの曲の一部なのでしょう。かの有名な「ピアノ・ソナタ」なのでしょうか。私には、その調べさえ想像できません。多くの楽人が、世界に雄飛し、そのことをニュースにしますが、そのような話はニュースや楽人のエッセイの中で語られているのでしょうか。教えてくださると助かります。

カラフルに、あちらこちらの観光三昧よろしきの話よりも、「チュヌ」さんの話の方が、「憲法から見る多様性」などの話同様、とても面白い。「チュヌ」さん、長生きしてください。杖などついておられましたが・・・。

日本の紙幣にも「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」などの言葉を添えてあればもっと親しみが沸くのではないでしょうか。

バブルよ再び!! 懐に金を、私腹を肥やすことに汲汲とした人たちにはこのような親しみは沸くまい。 このような人たちには、多くの話は、「ツーカー」とは耳に入らないでしょう。

2017年12月 2日 (土)

ニュースを見聞するときの精神は???

いきなり数学の話で失礼します。

面積は相似比の二乗に比例し、体積は相似比の三乗に比例します。

ある長さ、ここでは「L」としましょう。
ある鯨の長さが「L」とすると、次の鯨類調査で長さ「2L」の鯨を捕るとすると、この鯨は長さ「L」の鯨の8倍の体積となると言うことです。つまり肉の量は8倍、重量は8倍と言うことになります。ながさ「L」の鯨を引き揚げる時に比べて、使用する漁具は8倍の強度が必要となります。肉を裁く(処理する)にも8倍の労力を必要するのです。

昔は、長さ「L」の鯨を300頭捕っていたのに、これが400頭になると単純に3割強の労力(労働量)が余計に必要になります。これが長さ「2L」の鯨を100頭捕るようになると長さ「L」の鯨を800頭捕るのと同じ肉の量になるのです。400頭の鯨を処理していたときの労働量の2倍の量になります。

これが、長さ「L」の鯨400頭に加え、長さ「2L」の鯨100頭を余分にとるようになると合わせて1200頭の鯨を捕ることになるのです。400頭の鯨を捕っていた頃の3倍の労働量になるのです。今仮に、400頭の鯨を処理するのに、毎日8時間働いていたとすれば、1200頭の鯨を処理するためには、毎日24時間働かなければならない勘定になるのです。

ここで労働者諸君よ、皆はこのような労働に耐えられるか。人員を一気に2倍にしても、1.5倍の労働をこなさねばならないのです。調査捕鯨ではどのような仕事をしていたと考えますか。南極海まで出かける船が、一気に2倍の人員を乗せていったと考えますか。ニュースを見聞きするときには、このようなことも考えながら理解してゆく精神が必要です。

2017年11月29日 (水)

人民の 人民による 人民のためにならない社会を推進する社会??

「信じるか信じないかは 自分の判断次第」とは、「イワシの頭も信心」などと言う事ではない。

多様性とは、何をしても許されると言う事ではない。 動物園のライオンやトラが抜け出し、公道を闊歩している風景を、サファリ・パークから飛び出したライオンやトラが町中で暴れている状況を思い描いて見るとよい。

多様性とは、自由を確保する仕組みを担うものなのだ。違法性、違憲性を許容すると言う事ではない。「自由のはき違え」を容認する事ではない。

「人民が人民のためにならない事をするはずがない」などと考えたフランス革命以後、とんでもない考え違いをしてきた人民である。ナチス政権は、このような人民、国民の途方もない考え違いで「合法的」に成立した政権なのである。多数派となれば、何でもできる。政権を取れば、どのような法律を作ってでも、「人民を従わせられる」などと考えて、「不合理」(恣意的)な権力行使が許されるのではない。近代は、このような不合理な権力行使を「抑制」するために、エネルギーを注いできたのだ。 ワイマール憲法・文化は、あまりにも貧弱であった。ヒトラー政権の違憲性、違法性をチェックし、その不合理(恣意的)な権力行使を抑制する事ができなかった。「違憲立法審査権」を持たなかったのだ。「人民が人民のためにならない事をするはずがないよ」などおめでたい社会だったのだ。

政権が為政、施政するに際し、自分の都合のよい、私人、国民にマイナスとなる行政活動を行うと事が不合理(恣意的)なものになる恐れがある。これを抑制するために、「理由の提示」を求められるのだ。「情報公開」がなされなければ、その提示がなされ得ないのだ。またその理由書を廃棄したり、作成していなかったりの不合理(恣意的)な行為は、違法であり、犯罪的なのだ。国、それ故政権がそのような事をやれば、「違憲行為」として審査の対象にすらなるのだ。まさしく「違憲立法審査権」はここに関わるのだ。少し前の防衛大臣がどのような問題に関わったか。私たちはその事に留意しなければならない。「公共の福祉」なる論理にも、「人民が人民のためにならない事をするはずがないよね。これは公共の福祉になっているよね。」、などと十分にチェックする事無く、安易安直に判断する事は、危険なのだ。

国民自身が、政権の「不合理」(恣意的)な権力行使を容認する風潮がある。 企業社会的隠蔽の論理でもって、事を正当化する理屈を述べるものが多いのではないか。

2017年11月28日 (火)

メール初使用日

 高校時代は、「20期」でしたこれに因んで、「二十日会」というミニ同窓会が開かれるようになって、30数年が過ぎました。私は、船乗り(今は退職しています)参加することはありませんでしたが、ある友人の誘いで参加することのなりました。卒後四十数年ぶりです。その友人に数日前に加入したネットでE・メールを初めて打ちました。上手く通じました。感激です。「70の手習い大いによろし」頑張ります。

2017年11月26日 (日)

クイック投稿 | エンジョイ!ブログ

リンク: クイック投稿 | エンジョイ!ブログ.E・メールを始めました。各種入力項目がありますが、ビギナーには理解しづらい種々の項目の羅列です。言葉も統一されて居らず、一体何を求めているのかよく判りません。規定の項目を入力しなければならないのなら、初心者には「ビギナー・コース」をもうけて理解が行き届くようにして貰いたいです。単語はカタカナよりも英単語でしかも略記せずに書いておけば、辞書を引きながらでも意味を調べられます。あちこちうろちょろしていると、不審者と間違えられ、勝手に向こうで「ログアウト」など全くけしからん事です。「いかがしました?」くらいの問いかけがあってしかるべきではないか。