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2024年2月 2日 (金)

エストニアのナイチンゲール、 花言葉の詩作を読む

承前

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*エストニア語:Lydia Koidula
1843.12.24~1886.8.11
エストニアの詩人、劇作家。
 最初にエストニア語新聞を出したバルデマール・ヤンセンの娘で、エストニアの文化的プライドとされている。
 本名は、リディア・エミリー・ヤンセンで筆名に書いたコイドゥラ(Koidula)は、エストニア語で「夜明け」を意味し、独立を勝ち抜かなければならない民族が経験し難いことを明らかにする。
彼女の作品は全体的に「エストニア」、「祖国」という言葉が数え切れなく繰り返される。
「エマ川(ヨキ)のナイチンゲール」は彼女の作品の中で最も愛されており、彼女の詩「私の祖国、私の愛」はエストニアの第2の国家と呼ばれている。
  
    * タルトゥのエマヨキ(Emajogi=ema(母)+jogi(川))

上記は、ほかからの引用である。 

皆様、「花言葉を巡る詩」は如何ですか。
* Kate Greenaway "The Illuminated Language of Flowers" [読書]
花言葉
ヴィクトリア朝の恋人たち
ぼくは恋人に、仙人草を贈ったのだ
ロセッティの詩集を読みながら
庭を散歩していたぼくの恋人は
その花言葉をすぐにわかってくれた
仙人草 それは心の気高さを意味し
恋人は眼を伏せた
私たちの、恋のはじまり・・・・
けれどある日、ぼくに贈られて来た花は白薔薇の蕾
ぼくは知っていたのだ
白薔薇 それは
「私は愛の虚しさを知っているのです」
ぼくの日々から満足は消え去り
ぼくはまた贈った 一輪の花を
アイリス それは情熱
恋人の摘んだ はこべが届く
はこべ それは
「あなたは邪気がなくて純で」
恋することの苦しみがぼくをつかまえて離さない
愛することの哀しみが ぼくを黒い淵へと誘う
ためらいながらぼくは選んでいた
ガム・シスタス それは明日の死
返って来たのは
いちい それは悲しみ
花言葉の約束を守るために
ぼくは死んだ
黒い喪のヴェールをかむり
恋人がぼくの墓に花々を手向ける
まんねんろう それは
「永遠に忘れません」
ヘンルーダ それは悔い
日々は流れ月はたち
ぼくの墓の上には土がふえた
そして恋人は植える
天人花 それは愛
そのときぼくは土に帰った体と魂の中から
ひとつの花を芽吹かせ恋人に贈ったのだ
ガーデンディジー それは
「恋人よ 君の哀しみを二人でわかち合おう」
そう・・・・ぼくは許していたのだ
この花言葉の恋を・・・・
                             ランドルフ・ストウ
           ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
大学に入学したばかりのときに、東京ではじめて買った本「ケイト・グリーナウェイ 花言葉」(白泉社)から巻頭詩を引用しました。
昔森永のチョコレートでケイト・グリーナウェイのパッケージに入っていたものが売られていたのを、覚えていらっしゃる方も多いのでは・・・?
あの絵が表紙になっている本です。
今は日本では絶版になっているのでしょうか?

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2024.02.01
 昨日夕刻、同級生にして大家が「市報」を届けに来た。 その際、「今晩、夕飯を食いに行こう」というので、「OK!」し、18時過ぎ頃から出ようと決めた。

 向こうもだろうが、こちらも準備があるので、出発前の1時間半は、大忙しだ。😁😁😁

 大抵、行く場所は決まっている。自分の好みの女将の居る「黒板」(クロイタ) をかわぎりに、スナック2軒をハシゴすることになった。 20時に「黒板」を出て、
 「ルポ REPOS」:この店も、かつては、この同級生がいたって気に入っていたママの居る店だったのだが・・・、他の同級生がその進展具合を気にし、あわよくば・・・、と考えていたのだろうか。 
 最後は「MOZU」、度々月一の「二十日会」の会場になった。 他にも会場となったところはあるのだが、使わなくなった。 
 一番の例が、同級生の娘さんが嫁いだ相手が、板前でその店を会場にしたことがあったのだが、故人となってから誰も使わなくなった。 私たちの付き合いとは、その程度なのだと考えておいて十分だ。

 次は、40年も前の「ブランデー」(ヘネシーかレミ・マルタンか)が有るので、一人一品酒の肴を持ち寄って呑もう! と言う話で盛り上がって店を出た。 23時10分帰宅。

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