八月の憂い
私は、この八月を「楽しい、素敵」という想いばかりで過ごしてきたことはない。
もう60年以上も前になるか、当時我が家は、「朝日新聞」を購読していたのであるが、此処には、失礼を承知で口にさせて頂くが、戦後の混乱が未だ続いていた時代・・・・・・。
後年とある国を訪れ、そこで出会った方が自国の有り様を「貧しい」と語ったので、此れに応えて、「30年前、私の故郷もこの様な状態だった」と語った。 彼は、驚きの表情であった。
その様な時代・・・・・・・・。 食べることで精一杯の時代。日本でも、職場の先輩が、「本当に貧しかったね、食べたら後何も残らなかった。」と語った・・・・・・。
この様な時代に「私の戦後史」が連載されていたのだ。 日々の生活に追われ、「殆ど顧みることのなかった生活」を、この時期になると、あの様な言葉で語られてきたのであった。 発掘するのであれば、この様に、あの様に綴られた「戦後史」も発掘し、我等の前に、何度もこれ見よがしに見せてほしいものである。
此処に、作家・曽野綾子さんが「毎日新聞」紙面で語った話が有る。
如何であろうか。
此処に出てくる「書籍」は、もはや「書店」では購入することは出来ない。いや、図書館ですら蔵書として、備えているところは、少ないであろう。
私は、切に願ったのだ。この本を手に入れて読みたいと願ったのである。そしてやっと入手した。
如何であろうか。 表紙を憶えておられるからが居るであろうか・・・・・・・。
この様な話を、今でも、話し合う方達が隣人にいるだろうか・・・・・・・・・。
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