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2021年2月25日 (木)

 去る2月12日、用事があり、13時前、コンビニに出向く途中、同級生にして、我が家の大家から携帯に連絡が入った。

 ドライブに付き合え、と言う。二つ返事で OK! 只食料の買い増しをしておかねばならないので、コンビニに行くのをやめて、食料調達を先にした。

 帰宅すると、これまた同級生が来ていた。大家の建て増しを請け負っているのが、その同級生なのである。吾が同級生には、建築士、設計士なる者が結構いるようだ (*´∀`*)。

 この同級生と立ち話をしていて、やはり、自分が大家の家を建てたこともあり、四周がゴミなどを積み上げた状態であるのは、面白くないと見え、「この様な古紙出すところに出せ、直ぐ近くに回収ポストもあるだろう」と、言うのである。 世情に疎い私に、「今、Amazonなどで買い物をする者が多くなり、包装の段ボールが不足し、この様な古紙、皆その材にするのだ」というのである。 世間話が長くなると、ドライブに出かけるのが遅れる。 適当に話を打ち切り、出かける。
 私は、車を運転できないので、横に座って、あんた任せである (*´∀`*)。 向かうは南。見慣れた景色では無いが、一度ならず見た景色である。何処に向かうかは尋ねない。小一時間も車を走らせると、観たことのある景色が眼に入り、「綱敷神社」ではないか。前にも、二人出来たことがある。
 此度は梅見に来たのである。未だ未だの咲具合である。ゆっくりと一巡りし、出口にさしかかる所で、句碑らしき物があり、しばし足を止める。苔むし、ハッキリとは読めない。「雨情」の名が見える。てっきり「野口雨情」かと思い、二人して、どの様な縁があるのだろう等と話ながら見ていると、どうやら「中野雨情」という方の様で、子供の頃(?)、この「綱敷神社」(濱宮神社)で遊んだことがあるようだ。
 
 出発したのは、13時半過ぎ、帰宅したのは、15時15分頃。 帰宅後、WEBサイトで調べると出てくる。 国策に沿い、百姓に成る事に決め、カナダに渡る。どの位の年月が過ぎたのであろうか。生活の中で、歌を始めたのであろう。そして、皇居の歌会始で詠む歌、歌題は「紙」。カナダを、墳墓の地と心に決めて来たのであろうが、そこで「宣誓紙」に署名を求められ、改めてこの地を墳墓の地と心に決めたとは言え、その手が震えたのであろう。 それが歌となったのである。 その歌が認められ、皇居の「歌会」で読まれることになったのである。
 途中、日本に戻ったことがあるのか否かを私は知らない。句碑に刻まれた二つ目は、久し振りに帰ってきた故郷の歌であろうか。私のような朴念仁にでも理解出来る。

 次のサイトは、この歌人との出会いを記した物である。 中途半端ではあるが、ご紹介いたします。

  成人の日 北九州市小倉南区・加来保子(78歳)
毎日新聞 2021/1/11 西部朝刊 有料記事 544文字

 11日は成人の日。今年はコロナ禍で各地の成人式も例年とは違う形もあるようです。

 私の頃は、今のような振り袖姿はあまり見かけませんでしたが、それでも心は晴れやかに小学校の講堂で行われた成人式に参加しました。

 町長さんの祝辞の後、60歳ぐらいの男性の方が、講演してくださいました。ちょうど、皇居で行われた歌会始に、歌が入選され、皇居に招かれた後、私たちの成人式に足を運ばれたのです。

 少年の頃、移民団としてカナダの地に渡り、異国の土地を耕して数十年。カナダの市民権を取るためには、日本の国籍を捨てなければなりません。

    

   
  

中野雨情 歌碑 1964年 歌会始めに入選

     「墳墓の地 カナダときめて 宣誓紙に 署名する 我が手はふるえたり」

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