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2017年12月29日 (金)

出会うということ   「別れても」補遺

たどる記憶、呼び覚まされる記憶

      ♪ 人生って 不思議な 不思議なものですね~
      ♪ 出会いも 別れも あらがえないさだめ~
      ♪ あなた言ってたね 人は旅人と~
           街の明かり 数えながら つくづくそう思う~

 私が、先に紹介した「横山清子」の日記「別れても」に出会ってから、はや半世紀が過ぎました。
 この間に、様々な出会いがありました。とあるフリー・ペーパーのコラム記事がそれでした。このコラム記事に出会うことにより、記憶を呼び起こされ、記憶をたどることになりました。
 この日記に出てくる「子犬」が紹介されていました(記事では「こいぬ」)。無論、この喫茶店が紹介されたのは、今回ばかりではありません。それ以前にも、新聞で紹介されていました。

 今日はそれを紹介いたします(私のブログ「別れても」を参照しながらお読み下さい)。

Koinus

 この後に添えましたものは、大げさかも知れませんが、私の「一つの下関」であり、「私の出会った 純喫茶こいぬ」というものです。

 今では、蒙古のようなことは「忘れられてしまった」のかも知れませんが、ふと思い起こし、私も何か伝えたくて綴りました。  ご寛恕下さいませ。

* 唐戸の「小犬」

 学生時代(「日記」を読んでいた頃)、下関に住んでいましたが、この店を発見できませんでした。偶然とは恐ろしいもので、下関出身の妻が待合の場所にと連れて行ってくれたのが「小犬」でした。私は店名を見て、「おお!」と、思わず声を上げていました。
 「日記」にも、「サンデー下関」のコラム記事でも触れられていませんが、階段を降りて行き、店内は古民家を思わせるような「梁」がむき出しになっており、「異様」と形容できるものでした。
 その後、妻を亡くし、ふと思い出したように、この店を訪れたことがありましたが、内装は様変わりしており、店主である男性は(私より年長に見えました)、「昔の面影」については記憶がないようでした。

 ここに朝日新聞(1982.03.06 号)の「下関版」に、「のれん しにせ 味」のコラムがあり、喫茶店「こいぬ」が取り上げられています。
 私が結婚したのが、1982年ですから、妻に案内されて訪れた時、店主はこの新聞にある「永井幸子」さんだったのでしょう、きっと。

Koinua

 だが、私の記憶では、何代目かの方が、以前から店主は替わるが、店名だけは変えずに来ている旨を、はっきり語っている記事を読んだように記憶しているのですが、この店も度々、このようなコラムでに載ることがあったのでしょう。朝日新聞のみならず、毎日新聞、読売新聞などで取り上げられたことがあるのではないでしょうか。

 その後、唐戸にはたびたび行く機会がありましたが、内装の変わった「小犬」には、不思議と感慨がわきません。


* 西高、南高

 ここは、市内の俊秀が集まる高校のようですが、当時の学生さんでも、今では、75歳程度でしょうから、「横山」さんのことを記憶している方は居られるでしょう。これらのコラム記事を見た時、その時々に思い出したでしょうか。「私立女子高校 A学園」の同級生たちも思い出したでしょうか・・・・・。

 とある方の言葉に拠れば、

 「人は二度死ぬ。一度目はその死により、二度目は、その人のことを記憶している人が皆死んだ時に・・・・。」

 私のこの一文は、あのワープロ文書は多くの人の記憶を呼び覚ますことが出来たでしょうか、出来るでしょうか。

 自死した彼女は、”月見草がみえる、月見草が・・・・”と言っていたとのことですが、その彼女に次の詩を捧げましょう。

          別れても 別れても 心の奥に
          いつまでも いつまでも
          覚えておいて欲しいから
          幸せ祈る言葉にかえて
              忘れな草を あなたに あなたに

          いつの世も いつの世も 別れる人と
          逢う人の 逢う人の
          さだめは常にあるものを
          只泣き濡れて浜辺に摘んだ
              忘れな草を あなたに あなたに

          喜びの 喜びの 涙にくれて
          抱きあう 抱きあう
          その日がいつかくるように
          二人の愛の思い出そえて
              忘れな草を あなたに あなたに
                              (木下 龍太郎)

              FORGET-ME-NOT

 カラオケでも、この詩を歌いましょう、このことを想いながら。 歌手は「菅原洋一」さんでした・・・・・。


* 吉見

 彼女は「吉見」に住んでいたのだろうか。9月26日の日記には、自殺のために買い求める残りの百錠の「ブロバリン」を「吉見に帰ってから――-」と記しています。

 何を隠そう、「私も吉見に住んでいたのです。」
 これまたフリー・ペーパーで「海燕祭」(大学祭)の開催を知り、10月7日に訪れ、四十数年ぶりに「吉見」の町を歩きました。当時の所在地のままに在る店を見て懐かしくなりました。縁あり、今後この「大学」に足を運ぶことが多くなるのかも知れません。私は眠れぬ日々を過ごし、駅からすぐの橋のたもとにある「薬局」で、「トランキライザー」を買い求めたことがあるのですが、彼女の場合どの店で購入したのだろう。もう一見あった様に記憶しているのですが・・・。只の化粧品店だったのだろうか。この次、訪れる機会があったら確認してみましょう・・・・・。


* 喫茶店「ボルガ」

 私も、二三度入ったことがあります。下関郵便局前から駅横のガード下をくぐり、あるいは駅から漁港側に出て(まだ「シーモール」は出来ていませんでした)、道路を横切ってのところ、二階にある薄暗い喫茶店でした。下はパチンコ店。この喫茶店はいつまで在ったのでしょう。下関に出ても、こちらの方に足が向かないので、トント判りません。

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