暑い、風無し、蒸し暑い 今日もお休み

2018年05月15日

 作業に「熱中しょう」にも、こう暑くては「熱中症」になりかねないので、今日も休んだ!

 朝、友人からメールが届き、「吾が故郷では、とある方のインタビュー」は、報道されない様だった。地域限定版だ。この様なことは沢山あるだろう。

 14日、早い夕食を摂り、帰宅したのは、18時半頃。それから、15日の10時までパソコン三昧だった。一冊の本を巡り、関連書籍を「インターネット書店」で探すのだが、思いがけない書籍、しかも在庫あり、などの情報に出会える事もあれば、全くリストに上ってこないものもある。
場合によっては、何十年も前の本が、発送の段階で、「商品」として売れない「状態」で有ることが、発見されることもある。「古本」としても「売ることが出来ない」のか否かは不明だが、その様なこともある。

 地元の図書館、故郷の図書館に「アクセス」しても、無いものはない。その地域で購入される図書には、いくらかの「特性」が有る。 商業中心、農業中心、漁業中心などの特性が、「収集・購入」される図書に偏りを与える。 あるいは、時代の変遷の中で、「収集・購入」費を割くことが出来なくなって、相対的に「貧弱」なものになっていくこともある。 其れは、書店の店頭に於いても同様な偏りとなって現れることがある。以前には、有る分野が非常に広範にストックされているかと想えば、経済、社会事情で、その分野が低迷し、消費の活性化が見込めなければ、書店の棚は縮小され、出版社自身も「生残」をかけて、今までとは違った分野に進出する。其れもやむを得ない戦略ではあるだろう。しかし、巷から消えるということは、「人の目」に触れなくなるという事でもある。まさしく「見えなくなれば忘れられる。Out of sight, out of mind.」である。

 生き残っている出版社は、倒産した出版社が「良本」を出していれば、其れを受け継いで出版することもあるであろうが、「出版社・編集者」の時代との関わり方も影響する。
 テレビ・アニメ「ドラえもん」の制作、放送に携わる者たちが、或る時、知り合いと出会い、雑談を交わす中で、「未だそんなことをやっているのか、マンネリだな」と言えば、「おいおい、今日初めて見るものだって居るんだぜ」とやり返すことも起こる。 書籍にしても、「50年ぶりの新訳」だということがセールス・ポイントにもなるし、この間の「研究」を付加して販売することも可能だ。訳者にもより、訳文の読みやすさ、も購入のポイントになる。 

 多くの人達は、どの様に考えているのだろう?

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