わたしの生命は宇宙と同様に深い 届かなかった友へのメール
返信ありがとう。
今はもう、Webメールに拘ってはいません。EDIONのネットワークのWebメールが駄目であれば、マイクロソフトのoutlookで済ませます。Y君にテストで受信して貰いました。OKと言うことなので、今後はこちらで、確認、出席の可否はこれで連絡します。
もっとも、このoutlookも四苦八苦してやっとこぎつけたのです。少し不明のことがありますが、あまり追求して、何処かおかしくなると、こちらも二の舞になりますので、おとなしくしています(笑い)。しかし操作性などをみますが、一長一短です。
私のようなビギナーには、指南役がいないということは、難しい世界なのかもしれません。敷居は高くありません、誤解の無いように、ここは強調しておきますよ。世間様は、言葉遣いを誤って、「敷居が高いのか」と、馬鹿な誤解するかもしれませんが。
M君が、かつてミニ同窓会の折、言っていました。「もうfacebookは止めようかと思う。連中、年寄りは自慢話ばかりだ。面白くもなんともないなんて言っていた。」
このことが、頭の中に残っており、「f」をクリックしたのですが、様々な記入項目があり、たどたどしく記入していたら、記入後、入力ミスがあり、誤記の訂正をしようとあちこちをいじくっていた事が災いしたのだろう。
こいつは不審者だ、と判断されたのでしょう。強制的にログアウトされた。
このような精神を考えると、かつてアメリカで、若い日本人が、訪ね先の場所を聞こうと、とある家の庭に入り、誤解され射殺されたことを思い出しました。
「フリーズFreeze」などと題される本がありましたが、裁判の後、結局どのような結末となったのでしょう。ニュース報道で、かの俳優、チャールトン・ヘストンが、「われわれは、われわれの責任において、所持し、管理している。」などの発言をしていました。米国の銃砲関係組織の「サブ」をやっていたはずです。
わたしなどもそうですが、道行く人に、何かを尋ねることはあります。しかし、最近の学校では、「知らない人について行かないように」などと教えるようですから、訪尋ねたいことがあっても、逃げて行かれます(笑い)。
若き日、船員として、コロンブスに縁のある地で、飲み会があったのですが、少しく遅れ急いでいたところに、渡りに船のごとく、これまた若い男がいたので、下手くそなスペイン語で、店の名前をいい、「ドンデ・バー」と尋ねました。すると日本語で、「わかる わかる」(これにはビックリしました)と答え、指で「カモン」の合図をするので、ついて行ったのですが、だんだん暗いところに入っていくので「ヤバイ!」と、一目散に逃げたことがありました。後ろでは「本当だょ 本当だょ」とこれまた日本語。
仕方なく、一人でいつもの店で飲み、船に戻り、眠ったのでした。しかし朝、船内食堂に食事に行くと、「その男」がおり、他の船員達と楽しそうに話しているではありませんか。
私を認めたこの男、「本当だょ 本当だょ」をまた連発したのでした(笑い)。しかし、だからといって、あの夜が安全であったという事にはならないだろう。この男、日本人船員との付き合いがそこそこ合ったのでした。
話は変わりますが、人は、「コンピュータの自動処理だ」と言うようですが、少しく考えてみるのも良いと思います。「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)と呼ばれますが、手塚治虫の作品「鉄腕アトム」では、「知能回路」という言葉が出てきました。手塚治虫は、コンピュータ世界の動静を知っていたのでしょうか・・・。
「コンピュータが、棋士に勝った」「あんな野郎が対戦したから負けたのだ」「イヤー、スゴイ、あの棋士は天才だ」などとメディアは伝えますが、一体何を伝えているのでしょう。
これまた、外国、ニュー・ジーランドNEW ZEALANDでの話ですが、とある店のワゴン・セールで入手した一冊の本の話です。
これは「ニュー・ジーランドの風景Landscape」とでも訳せば良いのでしょうか、この本の中に、私が少しは知る作家「キャサリン・マンスフィールド」の「Journal(日記、日誌)」からの一文があります。簡約すれば、「ニュー・ジーランドが、もっと人工的Artificialになったならば、この国の自然美を適切に取り扱う事の出来る芸術家が生まれる。これはパラドキシカルparadoxicalに聞こえるかも知れないが、真実だ」と、語っています。
When New Zealand is more artificial, she will give birth to an artist who can treat her natural beauties adequately. This sounds paradoxical, but is true.
また、
A young country is a real heritage, though it takes one time to recognize it. But New Zealand is in my very bones.
とも、語っています。
今では、彼女の作品は、この日誌・日記を含めて、ほぼ全作品が翻訳されている事でしょう。英語を能くしないわたしでも、作品のいくつかを家にあって、少しは手に取り読む事があります(笑い)。
岩波文庫、筑摩文庫には、彼女の作品のいくつかは収録されていますが、このJournalは収録されていないと思います。かつて、新潮文庫に収められていたようです(抄訳)が、今は絶版ではないでしょうが、品切れになって長くなります。 意外に、このような作品は多いのかも知れません。
日本の作家、ひいては私たちは、「この非人間的社会」とも言われたりする日本・社会をどのように取り扱い得ているのだろう。実に興味のある事です。ここは、まだ「人工的Artificial」ではないのでしょうか(笑い)。
海外に出かけ、良かったと思うのは、日本にいても触れる事は出来たであろうが、このような精神に触れる時です。
北は北極海近くまで、南は南氷洋まで、一年12ヶ月のうち、わずか3ヶ月ほどしか陸で過ごす事が出来ず、離家庭的であった私の「家庭生活」は、終に惨憺たるものとなりました。しかし、慰めとなるのは、わずかにしか一緒に過ごす事が出来なかった、今は亡き妻との思い出ではなく、このような精神に触れる事が出来た事です。 時至れば、また他の事どもを語る事があるかも知れません。
♪ 残り少ない 日数を胸に~ ♪ 今は、不羈の精神で生きていきたいと思っています。
寒さの折、貴殿も御身ご自愛ください。 またメールします。
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